当山の縁起録には「抑(そもそも)、当院の開創を原(たづぬ)るに、人皇百七代後水尾天皇の御宇(1611~1628)、慶長元(1596)年屋代郷浅川村、嶺松山瑞雲禅院第十三世蓮室天益大和尚禅師の開闢にて、世に仏心宗を伝承せる明僧なるに帰依し、開基首(はじ)め壇越信徒同心協力して、当山の閑静なる霊地に、天益大禅師を拝請し、同年春三月上旬吉日を撰み、伽藍創立の初日と定め、四月中旬当院建築竣工を了し、瑞雲院を小本寺と称し、当山を龍谷山泉髙院と号し、同二十八日に諸山の耆宿(きしゅく)を屈請し、御本尊釈迦牟尼仏を安置して入仏式修行し、仏月増輝(仏月ますます輝き)法輪常転(法輪常に転ず)、法灯嫡々相承して今明治四十一年迄凡(およ)そ三百有余年相伝したる古刹なり。随って諸方の在家倍々当院に帰入し、檀家已に百戸に充つ、保護の壇越十方の施主浄財を喜捨し、仏像、経巻、法器、什具并に山林田畑等寄附せる結縁祠堂の壇越、家運長久、福寿無量にして一切の願望皆円成たる事、伏して冀(こいねがわ)くは各々先祖代々諸精霊、頓に無生を悟り速やかに仏果を証せんことを。伏して以れば山門の幸福過之哉、爰(ここ)に縁由を記して世に示す事爾(のみ)」と記されています。
また当山は「幽谷山仙奥院」と呼ばれた時期もありますが、それは改宗される以前…真言宗時代の寺号と思われます。