りゅうたくさんせんぞうじ
東京都町田市下小山田町1391
正徳五年(1715)に、時の下小山田村領主柳澤備後守信尹によって開基されました。 柳澤山という山号は柳澤備後守の「柳」よりとったものであり、元禄時代徳川幕府の中枢にいて権勢ならびなかった柳澤吉保に..
正徳五年(1715)に、時の下小山田村領主柳澤備後守信尹によって開基されました。 柳澤山という山号は柳澤備後守の「柳」よりとったものであり、元禄時代徳川幕府の中枢にいて権勢ならびなかった柳澤吉保にもえにしの深い山号です。 泉蔵寺の緣起をたどると江戸牛込宗参寺の末寺として開基されたと記録されています。宗参寺は老中首席となった柳澤家の菩提寺であり、この名刹に連なる当寺は、近世に開かれた寺院としては、きわめて由緒ある歴史を誇っています。 本尊十一面観世音菩薩。本堂六間に五間、しかしながら270年に及ぶ歴史の流れの中では、種々変遷災厄に遭遇し、とくに昭和二十六年には不慮の火災で焼け落ちるという災禍にもあいました。 二十九世正光代により三十坪の庫裡を新築し、昭和五十四年には四十坪の本堂を新築し、更に昭和五十七年三月には町田霊園を併設し、観世音菩薩の広大な加護力をまのあたりに拝み得た心地して地区民と共に更に更に観音信仰に遇することとなった。
柳澤山
曹洞宗
十一面観世音菩薩
天海大和尚
下小山田村領主柳澤備後守信尹
武相卯年観音霊場 第三十四番札所