貞観年間(859~878)占部平麻呂朝臣(あそん)・三河権介として赴任、此の地に住み地方開拓に尽くす。故に此の地を占部郷と称した。水利なく全く天水に頼るのみで乾燥地なれば、水神を祀り天水を乞祈(こいの)み奉る。慶長年間中(1596~1614)大旱魃が打続き農民疲弊するときに、豪農野本新十郎・渡辺弥蔵の両人、慶長8年(1603)4月15日・資材を尽くして水路を開き、占部川用水を完成した。農民年毎に豊作を迎える「これ神慮なり」と占部川神社と称して尊崇する。大正14年5月18日・明細帳脱漏編入許可、同7月22日・字観音18番、無各社大神社を本社に合祀した。