寛文三年(一六六三) 九月、造殿の棟札 に白鳳二年(六七三)三月再建と記される古社なり「延 喜式神名帳」に日長神社「国内神名帳」に日長明神と 記す。「文徳実録」に仁寿元年(八五一)冬十月從五位 下、「国内神名帳」に従四位下とあり、旧昔は社地広大で社南一町余の所に的場、宮前等の字名あり、社北には宮後の字名あり、慶長八年(一六〇三)八月二十二 日、徳川内府より朱印高十石の社領の寄進あり明治に 及んだ。明治九年一月十七日、村社に列し、同四十年 十月二十六日、指定社となる。 昭和三十四年九月、伊 勢湾台風により神楽殿倒壊する。