浜田にあるこの寺は、金勝寺の末寺ではありませんが、先代の高橋為宗住職は金勝寺の弟子として修業した関係から敢えてここにあげました。言い伝えによると、この寺は以前青野村にあった曹洞宗の寺で清龍山宝徳寺と言いましたが火災に遭い現在地に移して再建建立したものです。
文政七年(一四一二)再度火災が発生して全焼し、安政四年(一八五七)漸く再建され現在に至っています。山号によれば泰國山とは、隣の落合集落の泉福寺と同様に国を守る何れも共通した国家安穏を願ったもので、二口街道沿いにある両寺は何か重要な意味でもありそうです。