なにわぐう
大阪府大阪市住之江区南加賀屋
大東亜戦争後、進駐軍の神道司令によって大阪護国神社は『浪速宮』と改称を余儀なくされた。浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇を祀り申し上げ神社として辛うじて存続が認められた。 1948年(昭和23)に東郷..
大東亜戦争後、進駐軍の神道司令によって大阪護国神社は『浪速宮』と改称を余儀なくされた。浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇を祀り申し上げ神社として辛うじて存続が認められた。 1948年(昭和23)に東郷平八郎元帥の遺髪が奉納されたことで祭神として東郷平八郎も祀られるようになった。 1951年(昭和26)のサンフランシスコ講和条約締結後、大阪護國神社に復称。仁徳天皇と東郷平八郎の二柱は現在までも引き続き、浪速宮で祀られている。
仁徳天皇 東郷平八郎
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