戦国時代の永禄年間(1558~70年)に森田将監祥昌が開基したと言われています。森田将監祥昌は天正6年((1578年)没し、法諱は月向院玉叟道金居士と号す。開山は当山派修験道の圓秀とされている(天正十二年=1548年没)。江戸時代の寛文七年(1667年)には、時の代官曽根五郎左衛門吉広が、日の出村査縄(土地調査)の際、二反二畝の地を除税し、寺に寄付したと伝えられている。その後、一時廃寺となりかけたが、僧儀殿がこれを再興した。明治十五年(1882年)この地を襲った「大久野焼け」と呼ばれる大火によって、堂宇は全焼し、空海筆跡などの寺宝は灰燼と化した。その後は仮普請のままであったが、平成2年本堂、庫裡、客殿が再建された。