天文七年戊戌(一五三八)五月村人が八幡社(品陀和気命)を勧請し氏神として尊崇していた。永禄一二年(一五六九)兵火にかかり神殿を焼失し廃退したがのち復興し、明治四〇年(一九〇七)、村内の小祠と御薗にあった御薗神社を合祀して楚原神社と改称した。『天明四年(一七八四)御領内控記』に、「楚原村氏神八幡宮一社、山神一ケ所。御薗村 氏神牛頭天王一社、同 大日一社」とあり、『員弁雑誌』には、「楚原八幡宮 字北野に在神殿南向き、拝殿拝門在、社地広大村の産土神にして例祭九月一〇日也。山神社、字東谷に在小祠。大日堂 神殿造社殿東向。御薗牛頭天王社、村の東南字牛ケ森に在、神殿南向、村の産土神。山神社小祠也」とある。御薗神社は古くは牛頭天王社といい、中古には御薗城主渡辺八右衛門の崇敬あつく、社殿の修理や奉幣があった。※「員弁の歴史散歩」より抜粋