うんしょういん
山形県山形市中野352
惟翁山雲祥院は山形県山形市大字中野に境内を構えている曹洞宗の寺院です。雲祥院(山形市)雲祥院の創建等は勉強不足の為に不詳ですが最上義定の菩提寺で戒名「雲照寺殿惟翁勝公大居士」に因み寺号が付けられたと..
惟翁山雲祥院は山形県山形市大字中野に境内を構えている曹洞宗の寺院です。雲祥院(山形市)雲祥院の創建等は勉強不足の為に不詳ですが最上義定の菩提寺で戒名「雲照寺殿惟翁勝公大居士」に因み寺号が付けられたと思われます。義定は最上宗家8代当主最上義淳の嫡男として生まれ、永正元年(1504)に義淳が死去すると父親の跡を継ぎ9代当主に就任に山形城に入りました。当初、義定は寒河江氏を傘下におさめるなど勢力を拡大させましたが永正11年(1514)に長谷堂城で伊達稙宗に敗れる大きく後退し、以降、伊達家の影響下に入ります。義定が永正17年(1520)に死去すると嗣子がいなかった為、幼少だった中野義守(義定の弟の孫)が迎えられ、さらに、伊達家の影響力が高まり、北部は天童氏と最上八楯の台頭を許しました。 雲祥院の境内は中野城の城内にあったとされ、最上満基が中野城を築き中野氏を称するようになってからは中野氏系統の最上家が宗家を就任していましたが、義守と嫡男義光とは折り合いが悪く、元亀元年(1570)には争いが生じ義光が強引に家督を継いで義守は隠居を余儀なくされました。天正2年(1574)、両者が再び対立し、天正3年(1575)には中野城が落城、雲祥院もその兵火により焼失し長く再興される事がありませんでした。境内には最上義定の墓碑が建立されています。中通三十三観音霊場第11番札所。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
曹洞宗
釈迦牟尼佛
新西国中通三十三観音霊場 第十一番札所