さいしゅうじ
福岡県朝倉市杷木若市2686
肥後の住人、藤原勘解由の後裔[祐喜]が本願寺第13代良如上人に帰依得度し、佐田村田代(現:朝倉市佐田)に草庵を結んでいたが、後に若市村島(現:朝倉市杷木若市)に移った。 寺の正式な起源としては、..
肥後の住人、藤原勘解由の後裔[祐喜]が本願寺第13代良如上人に帰依得度し、佐田村田代(現:朝倉市佐田)に草庵を結んでいたが、後に若市村島(現:朝倉市杷木若市)に移った。 寺の正式な起源としては、万治3年(1660)に本願寺から山号(光曜山)・寺号(西宗寺)・木仏(阿弥陀如来像)を許されたところから始まる。寛文3年(1663)第3代善照のとき、大庄屋・養父助左衛門の寄進により現在の地に移り、5間四面の茅葺本堂を建立。 文政年間(1818-1829)に栗田村(現:朝倉郡筑前町栗田)の光蓮寺から入寺した第15代順延により7間四面の茅葺本堂を再建。明治4年(1871)に落雷により本堂・庫裡を全焼。 第18代仰誓のとき、甘木の佐野半平の寄進により仮本堂及び庫裡を建立。明治35年(1902)第19代顕誓は門徒の懇念を結集し、欅造り7間8間の本堂を再建し現在に至る。
光曜山
浄土真宗
本願寺派
有り