弘安7(1284)年の創立、開山は六老僧日朗である。もとは谷津町横山にあったが、天正年間(1573~92)にたび重なる火災によって、古文書などすべてを焼失した。 現在地への移転は元禄年間(1688~1704)のことである。伝えるところでは、今の地に他宗の寺があったものを、法論に勝ち合併したのだという。16世日忍が本堂・表門・庫裡を建立、18世日顕が半鐘を鋳造し、本堂を再建した。 22世日?は梵鐘を鋳造。24世日瑞が庫裡を再建。25世日誠の代に鐘楼堂が建立されたが、嘉永6(1853)年の震災で倒壊した。26世日明が鐘楼堂を再建。29世日英の代に、本堂・庫裡・表門を再建復興し、30世日祥は位牌堂・玄関・向拝を建立修復した。31世の代となって諸堂の改修および梵鐘を鋳造し、鐘堂を再建した。鏡師法縁。