くまのじんじゃ
山形県鶴岡市湯温海甲67
当神社の信仰は、温海岳 (七三六m) の神と温泉の神の信仰が一体となっている。 温海岳熊野神社の創始は、養老五年、僧行基 が紀州熊野権現を勧請、阿弥陀、薬師、観音 の御像をまつる。 その後、嘉禄二年..
当神社の信仰は、温海岳 (七三六m) の神と温泉の神の信仰が一体となっている。 温海岳熊野神社の創始は、養老五年、僧行基 が紀州熊野権現を勧請、阿弥陀、薬師、観音 の御像をまつる。 その後、嘉禄二年、大和の 小聖上人本堂を建立、また、平安初期、羽黒 山開基の黒珍が熊野権現を勧請するなどの諸 説がある。 温泉の神は、大同二年、手負いの 鶴が発見、嘉祥三年の大地震で温泉噴出。 こ の年小聖上人の発見などという。熱湯が沢の 如く流れ出るところを湯蔵権現と崇め、その そばに湯蔵権現堂を建立する。この湯の神は、 延喜式神名帳所載の由豆佐売神であるとの論 議が以前からあったが、昭和二十年内務省に これまでの調査研究をまとめて、熊野神社の主祭神櫛御気野命を由豆佐売神に訂正の申請 を提出、同十二月承認される。江戸時代以降 温海に住む社人と、湯温海温海岳山麓に住 金系修験相持ちで明治の神仏分離を迎え る。社殿関連の記録では、嘉禄年中小聖上人 本堂建立、元和十年長床創建、寛永四年天入 上人権現堂再建、貞享二年山頂の権現堂再建、 宝永六年長床遺立、安永三年現在の本社社殿 再建などがある。 武藤家が荘内を領すると祈 願所として温海岳五百町歩と百二十石を与え られていたが、最上義光の黒印は受けること が出来なかったという。元和十年、温海組大 星の取りなしで藩主井公の祈願所となり 境内地 山林は従前通り安堵される。 九 一五一の一、国有林三四町二反二九歩、同十三年同岳腰一五一の二国有林二三町九反 九畝二九歩 地上産物共払い下げを受ける。 明 治の神仏分離により熊野大権現を熊野神社に 改称する。 明治九年郷社に列せられ、大正十四 年神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和十一 年県社に列せられる。 明治三十二年拝殿改築、 大正九年摂社(明治十二年村社被定) 薬師神社 を合祀、大正十一年拝殿を再建する。昭和二十 六年四月二十四日の湯温海大火災で拝殿、境 内社の大国主神社 八坂神社などを全焼する。 昭和三十三年拝殿、直会殿、同四十三年神輿 殿を改築したが、この直会殿が同四十一年不審 火により焼失する。 同五十三年神殿、 幣殿を増 築、同六十三年、直会殿を改築する。
由豆佐賣神 大己貴命 少彦名命
配祀神 櫛御氣野命 伊弉册尊 事解男命 大物主命 速玉男命 奇稲田姫命
七級社 旧県社
五月三日