むしよけいなりじんじゃ
山形県新庄市万場町11
虫除稲荷神社由来記
当社は、新庄藩祖戸沢氏が、角館在城の時代、その藩士 「某」が厚く崇敬し、屋敷神として祀っていたものと 伝えられ、慶長七年(一六〇二)、藩主戸沢氏の常州松 同封の折りも、当社..
当社は、新庄藩祖戸沢氏が、角館在城の時代、その藩士 「某」が厚く崇敬し、屋敷神として祀っていたものと 伝えられ、慶長七年(一六〇二)、藩主戸沢氏の常州松 同封の折りも、当社を彼の地に奉遷し、日夜参拝を怠らず、元和八年(一六二二)、戸沢氏が新庄転封に際しても、某氏は当社を奉持して藩主に従った。
寛永二年(一六二五)、初代藩主政盛は、新庄城下町 整備の一環として、万場町の北端に当社を奉祀し、近隣 町内の鎮守の神としたものを、明治初期当町内有志によって現在の地に奉遷した。
当社は、農作物に害をなす稲虫・もぐら・根切虫など を退治し、五穀豊穣をもたらす神として、近郷の人 人の信仰をあつめ、当社の虫札を田畑に立てておくとい
作物に虫がつかないと言うので、毎年六月十七日の例祭には、近郷近在の善男善女が群れをなし大いに賑った。
当社はまた、子供の「カンの虫」をも退治してくれる 有難い神様で、地域の子供達が当社の威によって、時代の悪害に侵されることなく、心身ともに健やかにたくましく成長してくれることを祈ってやみません。
「神は人の宗教によっていよいよその威を増し、人は神 の加護によって益々幸せを増す」といいます。作物の虫 を鎮め、子供のカンの虫も鎮める霊験あらたかな当社は きっと地域の人々の心と体を守ってくれるに違いありません。
当社の右側の石碑に刻まれている 「虫よけて、みゆたけし 重のいまさかゆな神ましませる」 の和歌は、虫除稲荷神社の実験をよく表しています。 (例大毎年六月十七日)
中山町町内会より
稲倉魂命
六月十七日