きひじんじゃ
山形県鶴岡市三瀬宮ノ前1
境内の、うっそうたる原始林の中の「気比の大池」があり古代より古代より霊地とされ農業の神として広く崇敬されて来たが霊亀二年、越前国敦賀の氣比神社の神を勧請する。 続日本紀に「元正天皇霊亀二年霊亀二年..
境内の、うっそうたる原始林の中の「気比の大池」があり古代より古代より霊地とされ農業の神として広く崇敬されて来たが霊亀二年、越前国敦賀の氣比神社の神を勧請する。 続日本紀に「元正天皇霊亀二年霊亀二年九月越前国の百姓、百戸を以って出羽国に隷せしむ」とあり、この頃当神社創始すると、社伝に記されている。更に寛治五年、八幡太郎義家、奥州征討のみぎり、当神社に御祖の神を祀るとの由縁をもって戦勝を祈願するため、県小次郎を遣わし剣一振を奉献、当神社第一の宝物として秘蔵する。また、天文九年二月、大宝寺武藤氏の家臣高坂時次、菅沢武光等領内に令して寄進を募り、社殿を再建する。更に慶長十七年六月四日、領主最上義光黒印高三十五石を寄進、元和八年酒井公が入部すると、社領安堵すると共に、しばしば本神社を参拝し多額の金品を奉納、故に歴代の武将の崇敬厚く、戦勝の神として後世に伝えられる。「古来当社は気比の宮」・「氣比大権現」と称されてきたが、明治三年二月気比神社と改称、同九年十一月二十五日県社に列格し、更に四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定される。同四十一年薬師、降矢、稲荷、秋葉琴平等八社を合併する。 昭和五十一年には境内全域が山形県自然環境保全特別地域に指定され、更に同五十二年、国指定徳没天然記念物に指定される。 当神社は住昔より戦勝の神として崇敬され、特に第二次大戦までは武運長久を祈る将兵が祈願に参詣、御霊徳が広く伝えられたが、平和な時代となり、スポーツその他の戦利を祈る人々が県内外から多くみられる。お田植祭を五月八日に斎行し、十人の舞子が田植舞を奉納している蝗除祭が六月十五日、悪虫を海に送る神事や行事を宮町組が受け持ち斎行している。住時は全部落で行っていたと言われている。
気比神社社殿は宝永4年(1707年)の再建で、山形県唯一の夫婦榊があります。 この神社を囲む社叢約9.4haは、海岸に近いところにありながら、ブナなどの自然原生林がそのまま残る稀少な地域として国指定天然記念物に指定されています。
保食大神 足仲彦尊 息長足姫命
四級社 旧県社
本殿7.4坪 拝殿18坪
四月十二日
神輿渡御行列 お田植祭 蝗除祭
社叢 特別天然記念物(国指定) 山形県自然環境保全地域(県指定)
三瀬駅より徒歩10分
無料
有