すいじんじゃ
山形県新庄市仁間952
元禄十一年元海藤帯刀の祭神として城内に祀られ、武神としての信仰が厚かった。海藤氏滅びて後、海藤楯より川手前、伊藤九左ェ門の田内に氏神として文政四年に祀られる。その後社殿破損又、部落発展のため現在地、..
元禄十一年元海藤帯刀の祭神として城内に祀られ、武神としての信仰が厚かった。海藤氏滅びて後、海藤楯より川手前、伊藤九左ェ門の田内に氏神として文政四年に祀られる。その後社殿破損又、部落発展のため現在地、(元本間多聞宅地内)宮田堰沿いに遷座再建される。当時六月の例祭には非常な賑わいぶりで戸澤公参拝の折も参詣者が多く、本道より教宝院に入ることができず宮田堰の堤を徒歩して休息したとある。後に堰のわきの神社ということで水神様を祀り現在に至っている。 明治六年二月二十八日村社に列せられる。
水波女命
十五級社 旧村社
八月十五日