とみよしにったはちまんしゃ
愛知県西尾市吉良町乙川北大山122
社伝に、元禄二年(一六八九) 東城の城主吉良義央、富好新田を造成し鎮守の社を建てる。 社殿は新田の中央にあったが、宝暦四年(一七五四)の 津波により流失する。 社地を現在地(青鳥山)に遷し祀る。 ..
社伝に、元禄二年(一六八九) 東城の城主吉良義央、富好新田を造成し鎮守の社を建てる。 社殿は新田の中央にあったが、宝暦四年(一七五四)の 津波により流失する。 社地を現在地(青鳥山)に遷し祀る。 明治制度改めによって、八幡社と改称し、明治五年十月十二日、村社に列し、同四十年十月二十六日、 供進指定をうけた。同四十三年五月十日、字北切の綿津見神社を合祀する。
誉田別尊 綿津見神
旧指定村社 11等級
本殿流造 0.50坪 覆殿 5.00坪 幣殿 7.00坪 拝殿 10.00坪 社務所 25.00坪 祭具庫 12.00坪
4月18日