のざきはちまんじんじゃ
和歌山県和歌山市野崎257
創建は貞享2(1685)年11月。 明治時代、境内内に牛神社、稲荷社を併祀していた。 『十五ヶ村誌』に、「八幡、所在村にあり、牛神社南北破瀬折にあり」と記載されている。 社殿には御神霊(御幣次..
創建は貞享2(1685)年11月。 明治時代、境内内に牛神社、稲荷社を併祀していた。 『十五ヶ村誌』に、「八幡、所在村にあり、牛神社南北破瀬折にあり」と記載されている。 社殿には御神霊(御幣次銅5段 神鈴12個 御丈10㎝)及び御神躰(千々尉翁御本面 聖徳太子御作 写体藤原右満作記載の文書あり)外に菩薩像(6㎝の金塗1体)、また設立年銘記の金幣(貞享2年 1685年)祭祀している。 文化5(1808)年大破した社殿を藤原慶泉、崎本伝右衛門が再建したと伝えられている。 灯篭に寛政元(1789)年奉納北口氏、手洗には文化五(1808)年辰八月奉納不祥が残っている。 大鳥居は宝暦四(1754)年甲太歳九月十五日とあるが破損が激しく危険の為、昭和60年3月撤去し、現存の新鳥居を建立した。 明治42年県知事令により神社合祀が進められ、当時の氏子は10軒程であり市小路伊久比売神社へ御神躰を移す。 しかし、神社の建物はそのまま保存していた事や梶取地区の合祀拒否の報せなどがあり、翌明治43年4月25日再び元に戻った。 爾来野崎八幡神社として野崎地区氏神とし鎮座し今日に至っている。 昭和10年代に入り、氏子数85軒、320人と人口も増加して行った。 昭和30年代、高度経済成長期に入り、飛躍的に増加、分譲住宅、賃貸住宅、マンションと殆どの農地は市街化地域となった。 現在は戸数1,000戸、人口3,000人を見るに至る。 境内に摂社として朝比奈大神をお祭りしているが、これは昭和12年3月、氏子和田正次郎氏宅より移転したものである。 また神仏混合、土着信仰のなごりで、延命地蔵、八大龍王をお祭りしているが建立年代、詳細については定かでない。
品陀別命