昔、最上川が現在の神社のすぐそばまで流れていて、渡船場だったので、船橋神社の名前があるのだろうといわれています。その御本尊に馬の遺骨がまつられています。江戸時代、葉山の沼の主が山の内の駿馬にみごもり生まれた鹿毛馬がいました。それを横山の八鍬弁助という者が買いとって育てました。新庄の殿様が参勤交代で江戸に上る途中、その鹿毛馬が柵をとんだりして遊んでいるのを見て、是非にと所望しました。そして、江戸に連れていかれた鹿毛馬の秀でているのが、他の大名の羨望の的になりました。時に、江戸で振袖火事が起こり、江戸八百八町を焼き払いました。鹿毛馬は、その火の中を橋や川を渡って多くの人々を助けましたが、とうとう死んでしまいました。殿様は生まれ故郷に骨を持ち帰り、船橋神社にまつったといわれます。