当山は,明治三十年十二月、現、千葉県長柄郡長柄町にあった日蓮宗妙満寺派浄林寺を公称移転したものである。由来によると、同町西水沼峯下に稲川菅之焏という人あり、父め感化を受け信仰に入り、御遺文を拝読し千が寺参りをして故郷に帰り道宇を建立。自ら喬貞と称し妙道の流布に勤めた。時に同所綱川喜四郎あり、喬貞の感化をうけ境内地三〇アールを寄附され参拝所を建立した。浄林寺移転については、第一教区管事小川玉秀上人に依頼し、兼務住職となり、明治三十二年二月移転完了。明治四十五年今成乾随上人新任、大正六年四月退任し、第一世綱川随応上人就任す。元住職綱川乾一師就任して、檀徒二十七戸でしたが、日蓮聖人生誕七五〇年を催し、昭和四十七年七月宗祖聖滅七百遠忌に、五間四面の本堂新築の落慶を成遂げ、法燈益々輝きを増して、平成四年三月現在、書院の移転改築、墓地の造成をし漸次寺観を一新するよう努力をしている。
なお、現在は綱川淨恵師が住職に就任している。