とうげんさんじげんじ
栃木県日光市藤原249
千二百有余年昔、日光開山の祖勝道上人は開山を記念して「一刀三礼御作」(一度斧を入れるたびに三度拝んで魂をこめたという)により、中禅寺立木観音・日光清滝寺千手観音と当山鬼怒川慈眼寺の十一面観音との三体..
千二百有余年昔、日光開山の祖勝道上人は開山を記念して「一刀三礼御作」(一度斧を入れるたびに三度拝んで魂をこめたという)により、中禅寺立木観音・日光清滝寺千手観音と当山鬼怒川慈眼寺の十一面観音との三体を一本の桂の大木から造られましたので『一木(いちぼく)三体(さんたい)観音』と言われています。 従って、奈良朝の末期に同上人の手によって『慈眼寺(じげんじ)』として開基され当時山岳仏教の盛んな頃この地一帯を寺領をとして隆盛を極めたと言われております。 明治「戊辰の戦役」で伽藍(がらん)悉く焼失したが、観音様の御尊像は不思議の霊験(れいけん)を現わし無事だったことから『下野の秘仏』と称されています。 その後、再興百年閉ざされていた観音様のお姿も各方面からの強い御依頼があり公開されています。また、徳川家康公の相談役として黒衣(こくい)の宰相(さいしょう)と言われた天海大僧正は景観のよいこのお寺をたいへん好まれたと言われているが大僧正はのちに当時と同じ『慈眼大師』を号しています。
寺伝によると、この寺は奈良朝の末期に日光を開山した勝道上人が慈眼観音堂として建立したと伝えられている。 安置されている十一面観音は、勝道上人御作の一体とも言われている。
藤原山
日蓮宗
宝亀年間
十一面観世音菩薩
勝道上人
心正院日隆
藤原山慈眼寺
上の寺
東武日光線新藤原駅から徒歩約7分
有り