しもたてやましんめいじんじゃ
埼玉県川口市戸塚南2-12-31
当神明神社は、元禄十年五月、江戸神田通新石町二丁目藤屋伊左衛門氏によって天照大神を勧請して当地に下戸塚立山地区の鎮守として建立した神社である。 当時正智院住職が執事となり、村民は鎮守として信仰して..
当神明神社は、元禄十年五月、江戸神田通新石町二丁目藤屋伊左衛門氏によって天照大神を勧請して当地に下戸塚立山地区の鎮守として建立した神社である。 当時正智院住職が執事となり、村民は鎮守として信仰してきた。 特に、村内安穏、五穀豊穣、商売繁昌、子孫繁栄、家内安全、帰還帰省の守護神として村民によって厚く信仰され、年々祭祀されてきた。 明治二十二年、法により大正二年十二月十五日、上戸塚氷川神社に合祀許可され七郷神社に合祀となる。 先祖以来の神明神社への崇拝は一枚の精霊によって変わることなく、当時の氏子総代元北足立郡戸塚村村長新井高吉氏の名義によって存続し、祭祀は村民によって守られてきた。 戸塚地区は川口市合併によって当社境内3467㎡の土地を氏子の同意により川口市に寄贈した。 終戦五十年を期に下戸塚館山地区の氏子の浄財によって社殿を再建し、永久に神明神社の興隆を願い当地区の繁栄を祈る。
平成七年十月吉日 建設委員一同 記
無し