御剱八幡宮(みつるぎはちまんぐう)は、西尾城本丸跡に鎮座する神社で、古くは文徳天皇の皇子・八条院宮が渥美郡伊川津から当地へ移り住んだ際に松山(現在の山下町東八幡山あたり)へ遷座し、のち承久年中(1219~22)に三河国守護・足利義氏が西条城を築城する時に現地へ移し、源家相伝の宝剣・髭切丸と白旗一流を納めたと伝えられています。
城内鎮護の神社として歴代城主の尊崇が篤く、社殿前には城主が寄進した石灯籠が立ち並んでいます。現在の本殿・拝殿は一間社流造檜皮葺。延宝6年(1678)に当時の西尾城主・土井利長が再建したもので、市の文化財に指定されています。
永禄7年(1564)に城主・酒井政家によって寄進された鰐口は、銘文に「西尾」の地名を使用した最古の遺物で、市の文化財に指定されています。
城下の産土神である伊文神社の祇園祭では、江戸時代の半ば頃から御剱八幡宮への神輿の渡御が行われ、この時だけは領民も城内へ入ることが許されたと言います。