たいそじんじゃ
福岡県糟屋郡篠栗町若杉1047
祭神伊弉諾命は神代よりの御鎮座なり其鎮座し給ふ由緒は深遠にして比類稀なる舊社にて國土を化成し萬民の始祖とましますが故に(若杉大祖神社は伊弉諾命を祭りし事は八幡託宣集神祇の秘抄等参照)神功皇后三韓御征..
祭神伊弉諾命は神代よりの御鎮座なり其鎮座し給ふ由緒は深遠にして比類稀なる舊社にて國土を化成し萬民の始祖とましますが故に(若杉大祖神社は伊弉諾命を祭りし事は八幡託宣集神祇の秘抄等参照)神功皇后三韓御征討の節香椎宮にて大臣武内宿禰を召して異敵討伐の御廟算あらせられし給ひしに,能く諸神を祈り祭り給へと神託有りしかば則ち天神地祇山神海神まで盡く祈り祭り給ひ,中には此伊弉諾命へは御祈誓を込め給ひ御手つから本社の御神木を手折り鎧袖に納め御征討ありければ顕著なる御神明の冥助を得たまひ,刄に血ぬらずして凱旋の後,御身の守に持たせ給ひし杉の枝蒼色を變ぜざりければ香椎宮の社前にさして後葉のしるしと誓ひたまひけるに其事空しからず枝葉茂り繁茂す(今の綾杉なり分杉の名も是より起こる後世若杉と云ふは訛れり)皇后終に報賽として山頂に社殿を改造し給ひしを始とし,上古より神徳顕著にして上下の尊崇厚き神社なり中古に至り伊弉諾命を中座とし右側に八幡大神・聖母大神・寳滿大神を祭り,左側には天照皇大神・志賀大神・住吉大神を祭れり。聖武天皇仏法に帰依し給ふ事深ければ天下の大社に宮寺を立て神仏混合に祭らせ給ふや,此時當山にも多くの宮寺を建てられ,其寺號を延年寺・大祖寺三蔵院と云ひ,後には寺家益々繁盛し左谷(今に佐谷村と云ふ)右谷(今の若杉村と云ふ)の両所に別れて三百有餘の僧房あり,神田も當郡各地に三百有餘町ありしも天正兵亂以降三百餘の坊舎悉く灰燼となり,三百有餘町の神田も悉く散失し復た再興の擧なかりき。 慶長五年黒田長政公當國を領せしより,神田寺領の事は皆先國主の例に隨はせられ,當社にも神田を附せらる,然るに荒廢の久しき一旦社頭を守るものなきを愁ひ竃門山龜石坊有辨と云ふ者をして若杉村に居らしめ,右谷の法頭職の居たりし廃寺を再興して是に住せしめ當社の祭祀を司らしめ,社殿修繕及改築の事は一切藩主黒田家より累世御擧行ありて粕屋郡の宗廟とし,上下の崇敬最も厚く社殿改築其他一切祭祀等は舊粕屋郡四十八箇所より之を行ひきたりしも,明治維新神仏混祭を禁ぜられ明治五年十一月三日郷社に定められ,明治二十九年五月四日縣社に列せらる。
太祖宮(たいそぐう)は、太祖神社とも称し、上宮と下宮からなる神社
伊弉諾尊
上宮の境内地の、樹高29m、周囲8.4mの大スギ (1号木)と、樹高30m、周囲10.1mの大スギ (2号木)の2本の御神木
県指定無形民俗文化財「太祖神楽」
JR福北ゆたか線篠栗駅下車徒歩2~3時間、車30分
下宮:カブトの森公園 第4駐車場 上宮:若杉観音堂 駐車場