ふたつやまじょう
島根県邑智郡邑南町下田所260−3
貞応2年(1223年)、富永朝祐によって築城。富永氏はやがて出羽姓を名乗り一大勢力を持ったが、正平16年(1357年)に高橋貞光による攻撃で城主出羽実祐は討死し落城した。高橋氏は二ツ山城向かいの山に..
貞応2年(1223年)、富永朝祐によって築城。富永氏はやがて出羽姓を名乗り一大勢力を持ったが、正平16年(1357年)に高橋貞光による攻撃で城主出羽実祐は討死し落城した。高橋氏は二ツ山城向かいの山に本城を築き、そこを拠点としたので、二ツ山城は高橋支配時代には使われなかったと思われる。 享禄3年(1530年)に高橋氏が毛利元就によって亡ぼされると、二ツ山城は毛利氏の石見進出の拠点となった。 永禄元年(1558年)2月、吉川元春を大将とする毛利軍が、毛利方に付いた出羽元実や福屋隆兼らを率いて二ツ山城に着陣。別当城(邑南町)を拠点に対抗しようとした尼子氏方の軍勢(牛尾幸清・本城常光・小笠原長雄)を撃ち破っている(出羽表の戦い又は石州出羽の戦い)。 永禄年間には毛利元就の子である元倶が出羽氏に養子に入った。この頃に城が再整備され城域も拡大し、現在に残る姿になったとされる。 天正19年(1591年)に出羽元実が出雲国に移封となり廃城になった。