往昔此神麥房に来し牧田川に流れ、当地に神留り座す故に麥房明神と称し奉る由里伝に申し候。爰に奇異なる一事は当牧田河原に麥種を蒔付るときは肥し耕作を不用。自然に能く豊登す。是全く麦房明神の御所為ならんと奉仰猶巨細縁由並びに古来の棟札等天明度年月不詳焼亡に付相知し不申且元社僧象背山浄泉院にも別段古書類無之右焼失後天明五年再建の由棟札に相見え有之古来牧田村七郷惣社に崇敬致来候也。此の地大永五年秋牧田合戦に合ひ、又慶長五年関ヶ原役に社殿炎上し、後又天明年中火災ありて旧記等悉く焼失散乱し、今存する所の古棟札二枚あり。一、元亀二年十一月。一、慶長十年十二月。其々表に麥房大明神云々と記せり。