中央町(ちゅうおうちょう)にある近代化遺産。かつて浄土真宗の寺院兼学校・金亀教堂(金亀教校)であった。
もとは寛政10年に完成し翌年7月29日に開校した藩校・稽古館で、天保元年(1830年)に弘道館へ、明治2年(1869年)に文武館と改められたが、明治5年(1872年)藩立学校廃止令が出されたことで廃校となった。すると明治8年(1875年)に浄土真宗本願寺派の寺院によって創設された金亀教校(仏教教育機関)の建物とすべく買収され、翌9年に開校された。その後は金亀仏教中学、第三仏教中学と改称したが、明治42年(1909年)に私立平安中学校と改称のうえで京都に移転し、現在の龍谷大平安高校・中学校になった。