創建年代は不詳。文明7年(1475年)にこの地を通過した蓮如上人が、トチノキ(稗田のトチ)の根元に腰を下ろして休息したといい、この横に堂宇を建て、浄土真宗の道場としたと伝わる。
『飛州志』によれば、明応8年(1499年)に寺として開かれたという。開基仏(阿弥陀如来絵像)が本願寺9世・実如上人または10世・証如上人より1499年から1536年の間に授与されていることから、1400年代末から1500年代初期に本山に寺として認可されたと推測できる。このとき授与された相手として「モリモ村 浄西」とあり、浄西なる者が初代と考えられる。
1873年に編纂された『斐太後風土記』には、検知を受ける者として「道場 弥右衛門」と記述されているが、これは白川郷近辺にみられる「農業の傍ら僧を兼業し、寺院など一部では法名を名乗りつつも行政等ほとんどには俗名を使う者」とみられ、管理する寺(道場)は「俗道場」と呼ばれた。弥右衛門は長瀬村の組頭(ナンバー2、名主は別の村から来た者)となっており、地区の有力者だったとわかる。浄楽寺は長瀬字稗田にあった5戸をすべて一族としており、営農の必要性から1代おきに僧となっていたという。
1725年、本願寺17世・真如上人より木造阿弥陀如来像(木仏本尊)を賜った。
昭和34年(1959年)、村道の新設にともなって10mほど西(トチのすぐ横)にあった本堂が現在地に移された。