龍ヶ崎城は江戸崎城主・土岐治英の二男、土岐胤倫の居城として知られています。竜ヶ崎氏を滅ぼした土岐氏がこの地を支配するために築きました。その後、土岐氏は佐竹氏と争い、1583年(天正11年)には一時佐竹氏に奪われるも、のちに奪回しています。しかし土岐氏は北条氏に与したことから「小田原征伐」後に改易となり滅亡、城も廃城となりました。胤倫とその子の頼房は諸国を流浪しますが、のちに徳川家康に召し抱えられ、その子孫は江戸幕府の旗本となっています。現在城址は竜ケ崎第二高等学校の敷地になっており、グラウンドの北側に空堀と土塁が残っています。