葉山大円院は葉山修験の中心をなす寺院で文武天皇の御代(697~707年)に役行者によって開かれたと伝わっています。さらに大宝2(702)には行玄が社殿を建立、平安時代初期に慈覚大師円仁が東国巡錫で当地を訪れた際には葉山に登拝し山頂付近の大岩に自ら不動明王を刻み込むと護摩祈祷を行ったとされます。その後貞観13年(870)に従五位下に貞観12年にも従五位下を白盤神として賜っています。
地域や年代によっても異なりますが、葉山が出羽三山の1つに数えられていた時もあったようです。葉山修験は山岳信仰の一種の教団のように発展していき最盛期には宿坊が湯野沢の坊ヶ峯に8坊、岩野の坊ヶ峯に11坊、末寺は最上郡に42ヶ寺、西村山郡9ヶ寺、信仰者は宮城県の牡鹿半島や福島県の相馬まで広がっていたとされます。
歴代領主にも崇敬され、文禄2年(1593)には最上義光が金仏や大鰐口を寄進し、元和元(1615)には寒河江城主大江備前守が社殿を再建、慶安2年(1649)には江戸幕府から領地安堵、承応元年(1652)には新庄藩2代藩主戸沢正誠が本堂の改修、寛文10年(1671)には同じく新庄藩主戸沢正誠が本殿を造営、延宝元年(1673)には同じく新庄藩主戸沢正誠が奥の院造営などが上げられます。
その後、62代明実が様々な堂宇を建立し中興の祖となりますが、江戸時代中期から休息に勢いを失います。戦後まで桁行17間、梁間7間の本堂が残っていましたが、付近一帯が米軍の射撃訓練場となった為、それを解体し昭和30年(1955)に規模を縮小して岩野に移転し現在に至っています。山形百八地蔵尊霊場第85番札所(札所本尊:虫送り地蔵)。山号:葉山。宗派:天台宗。本尊:不動明王。