みょうえいじ
愛知県一宮市大和町苅安賀字角出3294
もともと岩倉にあった天台宗の寺院で、 永禄元年(1558年)、織田弾正忠家の織田信長による岩倉織田家侵攻にともない、岩倉城攻めが発生した。岩倉城は落城し、岩倉家の有力家臣・山内盛豊(一豊の父)が戦死..
もともと岩倉にあった天台宗の寺院で、 永禄元年(1558年)、織田弾正忠家の織田信長による岩倉織田家侵攻にともない、岩倉城攻めが発生した。岩倉城は落城し、岩倉家の有力家臣・山内盛豊(一豊の父)が戦死し城下が焼け野原になるなどした。当時岩倉城下には賢林寺(現・小牧市藤島町)末寺の妙栄寺のほか、同じく賢林寺末寺の蓮照寺・国照寺があった。三ケ寺や檀家は、天正12年(1584年)に山内盛豊の従弟・浅井高政を頼って苅安賀城下に移った。これを岩倉越という。苅安賀城主から城下町東端の地を与えられた三ケ寺は、すぐ近くにあった要法寺(山内一豊の移封に伴って転々とし、現在は高知県にある)の影響からか一斉に日蓮宗へと転じた。このとき妙栄寺は日能により改められた。
大和町苅安賀(やまとちょうかりやすか)にある日蓮宗の寺院。
日蓮宗
1584年(天正12年)
日能
有り(境内南東)