うのもりじんじゃ
京都府舞鶴市南田辺8
「鸕鷀神社」を「うの森神社」と呼んでいます。 辞書には「鸕」も「鷀」もウノトリのことです。 江戸時代の「丹哥府志」には「鸕鷀大明神」とあります。
もとは円満寺村の氏神で、天正年間、細川氏が..
もとは円満寺村の氏神で、天正年間、細川氏が田辺築城の際同村民は四軒だけを残して、他は喜多へ移住させられ、「うのもり」は城内二の丸に残りました。 祭りのときには、村民たちか、城内に入るのをとくに許されたとあります。
祭神を日本書紀にある「鸕鷀草葺不合尊」としたのは、明治以降ではないかと思われます。 この神は、日向の鵜戸神宮の祭神で神武天皇の父の神に当たり「海幸彦・山幸彦」伝説の山幸彦-火折尊(彦火火出見尊)が海神の宮に行き、その娘の豊玉姫との間に生まれた神です。 境内の砂はマムシ除けの霊験があるといわれます。
鵜草葺不合尊
不詳
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約5分
無し