ひろみねじんじゃ
福井県小浜市千種2-3-27
貞観2年(860年)、播磨国廣峰か大中臣佐波近重なる者が勧請したと伝わるが、伝承の域を出ない。文永2年(1265年)の若狭国惣田数帳写に「天王宮六反六十歩 志万郷」という記述がみられるので、この時点..
貞観2年(860年)、播磨国廣峰か大中臣佐波近重なる者が勧請したと伝わるが、伝承の域を出ない。文永2年(1265年)の若狭国惣田数帳写に「天王宮六反六十歩 志万郷」という記述がみられるので、この時点では確実に存在したと考えられる。 応永19年(1412年)、若狭国守護・一色義範が鳥居を寄進し、大永7年(1527年)にも若狭国守護・武田元光が鳥居を立てている。 寛永20年(1643年)、神殿の修復が行われた。 正保2年(1645年)、小浜藩主・酒井忠勝が大鳥居を改修した。 明治4年に県社へ列せられたが、翌年指定を外された。明治8年に郷社へ列せられた。 境内社の天満神社は祭神菅原道真、享禄5年の神名帳写に「正一位天満大自在天神」とみえる。雲月宮とも称され、文永2年の若狭国惣田数帳写に「雲月宮三反 西郷」とあり、社領が西郷にあった。 境内社・天満神社は雲月宮とも呼ばれる。別当は羽賀寺で、神宮寺として松林寺が置かれていた。羽賀寺文書によれば、「南北朝期以降守護や領主から社領などが寄進されて保護を受けたものの享禄3年頃には天王・天神両社神領は守護被官・粟屋元隆や孫六に宛行われて支配権が消滅した。天正16年に浅野長政が寄進した10石は、小浜藩主京極氏・酒井氏に安堵されて明治2年まで続いた。」という。 廃仏毀釈により明治2年に松林寺は羽賀寺に合併されてなくなり、松林寺の本尊・千手観音像も羽賀寺に移され、現在は重要文化財となっている。
千種(ちぐさ)にある神社。
素盞嗚尊 稲田姫命 天穂日命 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 天津彦根命 浩津彦根命 熊野櫲樟日命 田心姫命 浩津姫命 市杵島姫命
旧県社
なし