おがじんじゃ
山形県鶴岡市遠賀原3
万治二年火災により社家焼失し、創建年代はわからない。 元禄三年の造社助請帳には稲荷大明神とあるが、元禄十三年になると遠賀神社になっている。その理由はわからない。享保三年宗宣旨を以て正一位となる。 ..
万治二年火災により社家焼失し、創建年代はわからない。 元禄三年の造社助請帳には稲荷大明神とあるが、元禄十三年になると遠賀神社になっている。その理由はわからない。享保三年宗宣旨を以て正一位となる。 宝永六年藩主酒井忠公代以後明治維新 まで数回参拝がある。 宝永六年始めて藩主鳥居 建立以後明治維新まで修復、建立数回に及ぶ、 本殿、拝殿の新改築は元禄六年、宝永六年、明 治十二年、其の間屋根の修復は度々行ったが、 大正十一年拝殿を瓦屋根に葺替える。 明治九 年二月十四日鶴岡県より村社に定められ、大 正七年八月五日神饌幣帛料供進神社に指定さ れる。明治十六年当屋御鉾入の神事を再興し たが、三十二年中止される。其名残として例祭 後直会式を行ったが、昭和十二年頃から廃絶す る。元禄十三年斎藤久必対島守を受領以来、安 政元年斎藤久まで八代受領を続ける。
倉稲魂命
式内社(小)論社、旧村社、十二級社
八月十六日