しょうざんぜんじ
佐賀県唐津市千々賀2452
松浦党の始祖「源太夫判官 渡辺 久(源 久)公」の遥拝塔の近くに、ときの千々賀村庄屋「徳田 助兵衛(とくだ すけひょうえ)氏(明光院鶴翁宗亀居士)」の一手建立によって、曹洞宗の寺「栗山 草葉寺(りつ..
松浦党の始祖「源太夫判官 渡辺 久(源 久)公」の遥拝塔の近くに、ときの千々賀村庄屋「徳田 助兵衛(とくだ すけひょうえ)氏(明光院鶴翁宗亀居士)」の一手建立によって、曹洞宗の寺「栗山 草葉寺(りつざん そうようじ)」として文禄元壬辰年(1592年)に創建された。 徳田氏の先祖は、豊臣秀吉の肥前名護屋城入りに付き随って唐津の地に来たとのことである。現在も松山寺の近くには、秀吉が名護屋城に向かう際に通ったとされる「太閤道」が残っている。 そして、筑前・博多にある曹洞宗の寺「大寶山 明光寺」の隠居(12世か!?)の身であった「松山 光壽禅師」が、唐津に行脚されて当山の開山となる。 その後、松山 光壽禅師の弟子「廣道 禪長首座」が後を継ぎ、開山の遺徳を偲び山号寺号を「金栗山松山禅寺」と改める。
金栗山
臨済宗
妙心寺派
妙心寺本山末
文禄元壬辰年(1592年)
如意輪観世音菩薩
松山 光壽禅師
天和2年(1682年)
提山 祖鋼禅師
昭和バス宇の木バス停から徒歩5分
無料
有り