じょうえんじ
福島県南相馬市鹿島区横手字西原田292
南北朝時代、行方郡横手北西の地に寿性館が存在しており、館のふもと大門沢に霊山から観音像を移し、真言宗の道場として寿性寺が建てられました。その後、幾星霜かを経て、寿性寺は廃絶したが、館主の守護とされた..
南北朝時代、行方郡横手北西の地に寿性館が存在しており、館のふもと大門沢に霊山から観音像を移し、真言宗の道場として寿性寺が建てられました。その後、幾星霜かを経て、寿性寺は廃絶したが、館主の守護とされたこの観音像が後世に伝えられました。郷土史によれば、この観音像は北畠顕家公の守仏であると言われています。 その後、江戸時代初期の元和2年に極山和尚が、大門沢鶴巻に堂を建て、この観音像を祀り寺を開いて淨圓寺と称しました。後に御堂を西原田の現在地に移し、文政9年に山下・西方寺、明治3年に岡和田・大安寺を合寺し現在に至ります。
利生山
観音院
浄土宗
阿弥陀如来
あり