西暦950年(天暦年)に、恵心僧都の妹(母の説もある)にあたる安養尼が建立したと伝えられている。その後、尼崎の如来院の末寺として700年以上経過した。時はすぎ江戸時代になり、当時の尼崎藩主青山幸利候が亡くなると、遺言により現在の場所に菩提寺として移築しました。青山幸利候は、楠木正成公を祭る現在の湊川神社が、当時石が置いてあるだけのような墓であったのをうれい、梅と松を植え五輪の塔を建てて供養し、没後はこの場所に葬るように語っていた。1684年(貞享一年)に幸利候がなくなり、遺言通り坂本村に埋葬され、その後に安養寺もこの地に移された。1892年(明治25年)には、如来院の末寺を脱して、知恩院直末のお寺となる。