くらおかじんじゃ
宮崎県宮崎市大字糸原3295
薩摩藩祖島津忠久が、「図師大明神」として花見村城ヶ峯に、旧倉岡郷の総廟として創建したのに始まると伝える。天和三年(1683)五月再興、寛政十一年(1799)十二月には、島津斉宣により再興されている。..
薩摩藩祖島津忠久が、「図師大明神」として花見村城ヶ峯に、旧倉岡郷の総廟として創建したのに始まると伝える。天和三年(1683)五月再興、寛政十一年(1799)十二月には、島津斉宣により再興されている。薩藩支配時代には島津直轄領だったためもあって、厚い崇敬を受け、毎年祭典料として米四斗九升を寄進され、神殿修繕の場合は、入費の半額を下付されていた。現在の社殿は昭和三十四年十月に改築されたものである。 明治四年三月、稲荷大明神・天満自在天神・白山妙理大権現三社を合祀、さらに図師大明神・若宮八幡・池王大明神・熊野三所大鳥尾権現・大将軍神社・厳島大明神を合祀して倉岡神社と改称した。 ○明治六年 現在地に遷座 ○明治三十七年十二月 愛宕神社を合祀 ○明治三十九年四月 郷社に指定され、神饌幣帛料供進神社に指定
伊邪那美命(いざなみのみこと 事代主命(ことしろぬしのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう) 天満自在天神(てんまんじざいてんじん) 倉稲魂命(うかのみたまみこと 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 火産霊命(ほむすびのみこと)
郷社
正治二年(1200)月日不詳
本殿(流造)2坪 拝殿(入母屋造)12坪
11月13日