たけはらじんじゃ
茨城県小美玉市竹原2297
正保二年(1645)美野里町大谷を中心に伝染病が流行し、「大谷村の牛頭天王が人を喰うからだ」とのうわさが広まった。そこで大谷村の人々が怒って、牛頭天王の御神体の金弊を大谷川に投げ捨てた。その金弊が流..
正保二年(1645)美野里町大谷を中心に伝染病が流行し、「大谷村の牛頭天王が人を喰うからだ」とのうわさが広まった。そこで大谷村の人々が怒って、牛頭天王の御神体の金弊を大谷川に投げ捨てた。その金弊が流れ流れて二キロメートル下流の竹原村榎本に流れ着き、それを農夫が発見した。村長は、急いでその金弊を水中より引き上げ、神の怒りを恐れてきれいに洗い清め、なお焚き火を焚いて温め乾かして祠を建てて祀った。これが今の竹原神社といわれている
創建は不詳(鹿島神社) 天保8年(1837)6月、常陸国大穂の一ノ矢八坂神社より牛頭天王を迎え鎮斎 明治2年(1869)、八坂神社と改称 明治6年(1875)、鹿島神社・八坂神社が合併し竹原神社と改称
タケミカヅチミカド スサノオノミコト
不詳
アワアワ祇園
有り