げんそうじ
岐阜県関市下有知2784
南北朝時代、信雅王(南北朝統一の後も活動した南朝残党のひとり)によって玄宗山延命寺の名で尾張国時之島(現・一宮市時之島)に創建された。慶長年間に延命寺は廃寺となった。 宝永5年(1708年)、美濃..
南北朝時代、信雅王(南北朝統一の後も活動した南朝残党のひとり)によって玄宗山延命寺の名で尾張国時之島(現・一宮市時之島)に創建された。慶長年間に延命寺は廃寺となった。 宝永5年(1708年)、美濃国下有知(現・関市下有知)に曹洞宗の寺院として玄霜庵の名で再興された。のちに玄霜寺に改められた。 玄霜寺は代々尼寺であり、現住職は12世・加藤大心氏。 昭和56年(1981年)、加藤住職が梅花流詠讃歌に秀でていることから梅花講が結成された。講は月2回の稽古や降誕会・成道会・涅槃会のときには御詠歌を唱えている。
下有知(しもうち)にある曹洞宗の寺院。同派東海管区岐阜県第5教区に所属している。
慈雲山(じうんざん)
曹洞宗
龍泰寺末寺
南北朝時代
十一面観世音菩薩
信雅王
1708年(宝永5年)
慈雲山玄霜寺
無料
有り(県道沿い)
無し