天正2年(1574)6月華川村竜寅寺3世旦陽清寅により、竜寅寺末として開創。
一説に慶長12年(1607)開山清恙、あるいは正保3年(1646)とも。開基は鈴木因幡守・法名君興院松岩道応居士(元和3年寂)、
あるいは大平五衛門とも。
元禄2年(1689)正月徳川光圀の命により上手綱長宏寺末となり、重山宗珍により再興なる。
宝暦9年(1759)12月に山門建立す。
昭和45年3月、当村大火の災を蒙り、元冶年間(1864-5)天狗諸生の乱の際、花園山満願寺より疎開した
大般若経600巻等の什物も焼失し、山門のみ残る。同47年4月本堂・庫裡を再建す。
茨城見聞録より