ほうしゃくじ
茨城県土浦市木田余2515
寶積寺は、木田山歓喜院と号し、かすみがうら市中志筑の雲集寺の末寺です。曹洞宗に改宗する以前は天台宗の密教系寺院でありましたが、約400年前、菅谷政貞が曹洞宗雲集寺から像天守香禅師を迎え、中興開山され..
寶積寺は、木田山歓喜院と号し、かすみがうら市中志筑の雲集寺の末寺です。曹洞宗に改宗する以前は天台宗の密教系寺院でありましたが、約400年前、菅谷政貞が曹洞宗雲集寺から像天守香禅師を迎え、中興開山され曹洞宗に改宗されました。嘉元四年(1306)小田五代城主宗知によって、神立との境、現在の木田余東台五丁目(調整池あたり)、以前の字宝積の地に建立されたと伝えられています。その後、天正六年(1578)木田余城が佐竹氏によって滅ぼされ落城し、木田余城跡の煙滅を防ぐため、土浦城主朽木氏は、寶積寺をその城跡(旧木田余2区常磐線南側)に移転し再興しました。しかし、明治二十八年(1895)常磐線が開通し境内地が分断され、明治三十六年(1903)汽車の石炭が飛火し本堂や全ての建物が全焼し、現在の地に移転しました。その後、八十年が経過し、昭和五十七年に移転以来なかった本堂を建立し、平成十二年には客殿庫裡まで新築され、現在では、客殿を利用して葬儀等も行われています。近年では境内地を拡張し山門の建設、そして駐車場の整備までなされました。
木田山
寶積寺
曹洞宗
土浦駅西口(亀城公園口)よりタクシーにて約5分
有り