はらみいしてんじんじゃ
静岡県掛川市孕石195
社殿の土台はさざれ石の大岩盤で、大小さまざまの卵形の礫を含むので孕石と呼びます。社殿は、「天満宮」の江戸時代に書かれた偏額がかかります。 堂の内部は寛政年間(1789~ 1801) に造られた柿葺き..
社殿の土台はさざれ石の大岩盤で、大小さまざまの卵形の礫を含むので孕石と呼びます。社殿は、「天満宮」の江戸時代に書かれた偏額がかかります。 堂の内部は寛政年間(1789~ 1801) に造られた柿葺きの屋根の本があります。 孕石は、掛川市東北部の八高山 (832m) 付近を源流とし、南西方向に流れる原 野谷川中流域の地名です。 この地名はこの地域に分布する孕石と呼ばれる礫岩に由来します。 この礫岩は、新第三紀前期中新世(1800~1600万年前)の海底に堆積した倉真層の基底部を構成し、団結した円礫と砂とで形成され、 地質学的には、その地名を冠して孕石礫岩と呼ばれます。 円礫は、 堆積当時の陸地に分布していた古 第三紀や中生代のチャート、 砂岩、岩などの岩片が河川や浅海の波の力で磨かれ てできたものです。 孕石礫岩を構成する礫は 『君が代』 に詠まれている小石 (さざれいし) に相当します。 孕石は太古のさざれいしが1800万年にわたる長い年月(千代八千代)を 重ね、互いに結合してできた岩 (いわお) とみなすことができます。 丸々と愛らしい大小の礫田達は、いわおの中にはぐくまれた胎児を連想させ、 孕石の名が生まれたのでしょう。 御神体は前庭に露出する孕石礫岩です。 子宝を祈念する男女が礫をお守りとして持 ち帰るため、御神体の表面は孔だらけになっています。 念願かなって子宝に恵まれ た夫婦は、 愛児の写真をたずさえてお礼参りをします。 奉納された稚児の写真は神 社内部の壁面を覆い尽くし、訪れる人々を感嘆させ、子宝を祈願する男女を鼓舞しています。
菅原道真
あり