大千山充満寺は滋賀県長浜市高月町西野に境内を構えている浄土真宗大谷派の寺院です。充満寺の創建は不詳ですが、伝承によると宗信法師(大友皇子の孫)によって開かれたのが始まりとされ当初は泉明寺と号し天台宗の寺院でした。その後、荒廃しましたが延暦年間(782~785年)に伝教大師最澄によって再興され本尊となる薬師如来像と十一面観音像を自ら彫り込みさらに守護神として十二神将像を安置したと伝えられています。
永正15年(1518)の浅井家の兵火により荒廃しましたが、天正元年(1573)には浅井家に従った西野家澄(大友皇子の末裔)が菩提寺として整備庇護しています。江戸時代に入ると、その後裔と思われる西野秀方が出家して祐海と号し延宝5年(1677)には浄土真宗大谷派に改宗し、現在の寺号である充満寺に改称しています。江戸時代末期には名僧恵荘上人を輩出し、当地域の開発に尽力、隧道を整備する事で洪水や凶作から田畑を護りました。