かんのんじ
福岡県遠賀郡芦屋町西浜町3-35
観音寺の創建は至徳2年(1385)、開山は錦渓守文(きんけいしゅぶん)禅師。 前身は葦屋寺といい、昔ヶ原という場所にあったという。昔ヶ原は、現在は航空自衛隊芦屋基地内の滑走路あたりになっている。..
観音寺の創建は至徳2年(1385)、開山は錦渓守文(きんけいしゅぶん)禅師。 前身は葦屋寺といい、昔ヶ原という場所にあったという。昔ヶ原は、現在は航空自衛隊芦屋基地内の滑走路あたりになっている。昔ヶ原時代の葦屋寺は七堂伽藍全て整い、塔頭も12ヶ寺ある大寺であったらしい。 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が京都建仁時にいた弘長元年(1261)に、北条の被官宿屋入道から葦屋寺の寄進を受け、肥前小城の三間寺(さんげんじ)(現:円通寺)の住職 若訥宏弁(じゃくとつこうべん)に兼任を依頼した書状(『円通寺文書』)が残されており、この時代には葦屋寺は既に存在していたと考えられる。 現在地への移転は江戸初期で、惣門は初代藩主黒田長政公の建立、3代藩主光之公が再建。また、黒田家から浜山5600坪の寄進など、藩主の外護を受けた寺である。 山門に連なる壁が黄土色であるのが特徴的である。本尊は50年に一度の開帳。
『遠賀郡誌』によると、応永元年(1394)春、芦屋浦の漁夫 刀根四郎が潮入川で鰶(このしろ)漁をしていると、急に足元で激しい風が起き、網の中がことに激しく騒がしいので、怪しんで網を上げてみると、鰶ならぬ大きな木造の観音様(三尺の坐像)...
潮音山
臨済宗
大徳寺派
筑前国中三十三観音霊場第22番 遠賀川川西四国八十八ヶ所霊場第84番