いんようじんじゃ
茨城県常陸大宮市山方4927
水戸 徳川二代藩主、徳川光圀公(義公)が寛文元年 (1661)に領内御廻村の時、一里ほど南の上大賀村念仏塚から陰陽山の大岩を遥かに望見したとき戌亥(北西) の方から径一尺ほどの金色の玉が飛んできて義..
水戸 徳川二代藩主、徳川光圀公(義公)が寛文元年 (1661)に領内御廻村の時、一里ほど南の上大賀村念仏塚から陰陽山の大岩を遥かに望見したとき戌亥(北西) の方から径一尺ほどの金色の玉が飛んできて義公の十間ほど前に落ちて消えた。 義公は庄屋に戊亥の方の岩山を案内させ、この陰陽山に 登り親しく御覧になられ非常に感動され、この石をそれまで呼ばれた夫婦岩を改名し陰陽石と名づけられて、二石並んでいる石の大きさを測らせ、東側の小ぶりの石(高さ10m横23m厚さ 2.5m)を陰石、西側の大きい石(高さ8.8m横 5.6m厚さ1.9m)を陽石と名づけられた。
伊弉諾尊 伊弉冉尊
元禄4年(1691年)
有り