あぎしほんせいじ
石川県輪島市門前町南カ26
阿岸本誓寺は石川県輪島市門前町南カに境内を構えている真宗大谷派の寺院です。阿岸本誓寺の創建年は不詳ですが、当時は真言宗の寺院で松岡寺と称していました。 鎌倉時代の承元元年(1207)、当時の住職で..
阿岸本誓寺は石川県輪島市門前町南カに境内を構えている真宗大谷派の寺院です。阿岸本誓寺の創建年は不詳ですが、当時は真言宗の寺院で松岡寺と称していました。 鎌倉時代の承元元年(1207)、当時の住職である良禅が高野山(和歌山県伊都郡高野町)での修行を終え帰国の途中に親鸞聖人(浄土真宗の宗祖)と出会い強く影響を受け、さらに、文永5年(1268)、善了法師が如信上人(親鸞の孫、本願寺第2世)に帰依した事で正式に真宗に改宗し現在の寺号である「阿岸本誓寺」に改称しています。 その後は北陸地方の真宗寺院の本拠地の一つとして寺運も隆盛し、室町時代には阿岸本誓寺が能登地方での一向一揆の拠点となりました。 畠山九郎は能登国守護職畠山慶致の長男でしたが庶子だった為、弟で正室の子供だった畠山義総が家督を継いだ事で畠山家を出奔し、一向一揆勢力と結び付く事で復権を画策、能登半島では阿岸本誓寺や本念寺(石川県羽咋市)が協力し反乱を起こしました。 しかし、天文10年(1541)、本願寺と慶致との間に和睦が成立した為、単独で戦う事が出来なくなった九郎も和睦に合意しています。弘治元年(1555)、畠山義綱が家臣連合である「畠山七人衆」と対立すると、弘治2年(1556)に家臣連合である温井氏が阿岸本誓寺を味方に付け一向一揆衆と連携を取りましたが、義綱は妻の実家である六角氏を通じて本願寺に働きかけ為連携が弱まっています。 元亀元年(1570)の石山合戦の際には織田信長と対立した石山本願寺の顕如(本願寺法主)に阿岸本誓寺が多くの支援を行っています。江戸時代に入ると加賀藩主前田家から庇護され鳳至郡106ヶ寺を統轄する「触頭」となり領内有数の真宗寺院となりました。
能登最大級で最古といわれる、浄土真宗の寺院です。旧藩時代に触頭(ふれがしら)の格付をもった古寺で、前田藩からの通知を各寺院へ伝達するなど、重要な役割を果たしました。
新巻山
浄土真宗大谷派
阿弥陀如来
現存する本堂は、寛政4(1792)年に再建立されたものですが、寺の開山はさらにさかのぼるといわれています。
交通アクセス(車) ・金沢からのと里山海道経由で約1時間40分(「西山IC」下車) ・西山ICから約45分
有り