やおくりじんじゃ
鳥取県倉吉市関金町山口526
当神社は人皇八十九代天皇御字文應元年日向國高千穂の峯より勧請し、矢送庄九か村の大社として奉祀したものだと言い伝えられる。 元禄三年九月本社建立の際松平伯守より米三石寄せられた。 初め矢矧山社..
当神社は人皇八十九代天皇御字文應元年日向國高千穂の峯より勧請し、矢送庄九か村の大社として奉祀したものだと言い伝えられる。 元禄三年九月本社建立の際松平伯守より米三石寄せられた。 初め矢矧山社杵米大明神と称していたが 、明治元年山口神社と改称され、更に明治三十五年四月矣送神社と改称した。 明治四十年四月二十七日神饌幣帛料供進神社に指定された。 大正二年の五月十七日、同村字舗鎮座無格社田中神社を合祀した。 昭和二十一年、神社制度の変革により同年四月、文部省宗教法人令により神社本庁に属し神社規則を制定した。 第二次大戦後、慶長費削経減挙礼廃止の正論により関金町内谷神社の例祭日を十月十七日と決議され十七日 の例祭日を十月十日と改めた。
天児屋根命 太玉命 瓊瓊杵命 素戔嗚尊
旧指定村社
文應元年(1260)
春日造 一間四分
10月17日