元禄2年(1689年)、徳雲浄祥によって清水庵の名で創建された。浄祥は兼光九代の末裔で、幼名は彦助、俗名は八郎兵衛という人物であり、祖父の代に刀工を廃業して商人になった家系で3人の妹弟を独立させた。このうち次弟は如閑(又助)、独立して奥州南部で商店を繁盛させた三弟は浄閑(惣三郎)である。のちに京都の浄閑から清水千手観音立像を寄進され、小庵に安置した。
元禄7年(1694年)、浄閑と如閑の助力を得て、浄祥は仏殿を建立し、常楽庵と改称した。
当時は新たに寺院を創建することが禁止されていたが、浄祥の師である小松寺の覚照和尚の尽力によって認められ、元禄年間(1704年まで)に領主から寺号を授けられた。また境内年貢除地の許可も得た。