せいがんじ
長崎県平戸市戸石川町410
天文11年(1542)、宝誉上人の開山。 第5世源誉上人は豊臣秀吉の命を受けて、キリシタン宣教を阻止するために当山の住職となった。 延宝年間(1667-1681)に松浦宗英公[1]が実母(永昌院..
天文11年(1542)、宝誉上人の開山。 第5世源誉上人は豊臣秀吉の命を受けて、キリシタン宣教を阻止するために当山の住職となった。 延宝年間(1667-1681)に松浦宗英公[1]が実母(永昌院殿)の菩提のため寄進した紺紙、金泥、銀泥の浄土三部妙典四巻の写経や、松浦観中公[2]寄進の、紐差の一本堂(普門寺)を建てた大杉の枝で作ったとされる、百万遍大数珠一連などが寺宝として残っているという。
五劫山
引接院
浄土宗
平戸島八十八ケ所第82番札所 平戸城下巡礼第31番札所
有り