かすがじんじゃ
岐阜県高山市清見町大原字野中257番地
創建年代は不詳。だが、宝暦9年に記された春日大明神由来書によれば、「天正年間に金森家の家臣であった二村正純が慶長5年9月に郡上八幡城攻防戦にて戦死すると、この正純の先祖が氏神として奉祀した」という。..
創建年代は不詳。だが、宝暦9年に記された春日大明神由来書によれば、「天正年間に金森家の家臣であった二村正純が慶長5年9月に郡上八幡城攻防戦にて戦死すると、この正純の先祖が氏神として奉祀した」という。 仁治年中には古木の紅葉木の一枝が光り、見てみると黄金の光が差していた。これを春日大明神と名づけて御神木とした。その後金森氏の城が落城した後に御料所となった。 元禄7年8月、伊奈半十部殿御検地其時除地双戴長三十六間半横三十六間半。金森当国御城主伏見参勤の節当地御通行相成り、此の地に御本陣相成その時今の地に春日宮屋敷替致す者也。元の宮地春日之社は小池五郎兵衛梨木地也。其の後右黄金尊盗賊奪取行方不知。当村長林寺八世芳谷京都より不動尊像買い求め守護奉れり。嘉永三年六月右木像大破に相なり、当村長林寺九世の孫空本、与八郎、助五郎両三人取り持ちにて金尊像鋳奉る者也。其の後再び東南の為木像を本社に納めしに神爾は此の地を離れずと霊夢ありて、現在に至る。明治四十年九月字梨本無格社熊野神社字庄島無格社神明神社を合併す。
建御雷神(たけみかづちのかみ) 速玉男命(はやたまのおのみこと) 櫛御気野神(くしみけぬのかみ) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 経津主命(ふつぬしのみこと) 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
8月最終の土日